がん医療における妊孕性温存療法について
公開日:2024/02/07
この記事を監修したドクター
東京都立駒込病院 緩和ケア科、東京大学医学部附属病院 届出研究員鶴賀 哲史 先生
がん医療における妊孕性温存療法について
一部の抗がん剤、性腺(卵巣や精巣)を含む骨盤内臓器や頭部の手術、性腺や頭部の放射線治療などのがん治療は、性腺機能に悪影響を及ぼし、結果として妊孕性を低下させます。妊孕性の低下は、妊娠、出産を希望するAYA世代のがん患者さんにとって大切な問題です。がん治療が向上して治るようになってきたからこそ、AYA世代のがん患者さんが希望を持って生活できるような対策が必要です。2023年に発表された「がん対策推進基本計画(第4期)」(*1)の中にも、がん医療における分野別の目標として、妊孕性温存療法が明記されました。妊孕性温存療法及びがん治療後の生殖補助医療(ART)に関する情報提供及び意思決定を行う体制を整備する重要性が指摘されています。
すべてのがん治療で妊孕性が低下するわけではありません。がんの診断がついたら、その病気の広がりを血液検査、画像検査、病理検査などにより評価して最適な治療法を決定します。次に、その治療法に関連する妊孕性低下のリスクを評価します。妊孕性低下のリスクがあり、患者さんが妊娠、出産を希望する場合に、患者さんにがん・生殖医療の専門家の診療をお勧めします。最終的に妊孕性温存療法を受けるかどうかは別として、生殖医療について専門家による十分な説明を受けることは患者さんにとって重要なことで、その後の満足度も高くなることがわかっています。がんと診断されたばかりの患者さんに「妊娠のこと」を話すことに躊躇してしまう医療者もいます。また患者さんにとっては、がんのことや生活のことで頭がいっぱいになってしまい、「妊娠のこと」を言われても考える余裕はないかもしれません。しかし妊孕性温存療法は、がん治療を受ける前にしておかないといけないことです。大変かもしれませんが、事前に話し合うことが重要です。
患者体験調査では、がん治療開始前に生殖機能への影響に関する説明を受けた患者さん、家族の割合はAYA世代では52%にとどまっています(2018年度)。妊孕性温存療法で胚(受精卵)、未受精卵子、卵巣組織、精子を採取して保管するには高額な費用がかかります。がん治療と妊娠について患者さんが十分に理解し、安心して妊孕性温存療法を受けられるようにするために、2021年度から「小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業」が始まっています。専門的ながん診療を行う都道府県がん診療連携拠点病院などを中心に、各地域のがん・生殖医療ネットワークを利用して、妊孕性温存療法及びがん治療後の生殖補助医療に関する情報提供及び意思決定支援を行う体制が整備されつつあります。
*1 「がん対策推進基本計画」(令和5年3月28日閣議決定)
がん医療における妊孕性温存療法の実際 女性の場合
小児もしくはAYA世代の女性がん患者さんに対する妊孕性温存療法として、胚(受精卵)凍結保存、未受精卵子凍結保存、卵巣組織凍結保存があります。それぞれ、思春期以降かどうか、パートナーがいるかどうか、がん治療を開始するまでどれくらい時間があるか、などをもとに決定します。
まず採卵(卵子を採取すること)についてご説明します。思春期以降の女性の場合、卵巣内に卵子ができています。経腟的もしくは経腹的に卵巣に針をさして、卵巣内にある卵子を採取します。経腟的に行う方が確実に卵子を採取することができますが、婦人科の内診のような処置が必要になるので、性交渉の経験のない女性の場合には負担が大きいです。通常は一回の月経周期で1個か2個の卵子しか排卵しません。ホルモン剤を用いた排卵誘発により、一回の採卵で複数の卵子(十数個まで)を採取することができます。一部の乳がんなど女性ホルモンにより悪化するタイプのがんもありますので、排卵誘発の方法についてはがん治療医と生殖医との相談が必要です。排卵誘発を行う場合には、最低でも2週間程度を要します。たまたま月経周期のタイミングがあえば、すぐに採卵することができますが、排卵誘発を行っていないので複数の卵子を採取することはできません。
思春期以降の女性でこどもを作りたいと思っている夫やパートナーがいる場合には、胚(受精卵)凍結保存をお勧めします。より確実な方法で、妊娠・出産に成功する可能性が高いからです。採取した卵子と夫もしくはパートナーから採取(通常はマスターベーションによる)した精子を体外で受精させ、細胞分裂を繰り返し胚まで成熟したものを液体窒素の中で凍結保存します。妊娠しようと思った時に、凍結保存した胚を融解(常温に戻すこと)して、子宮内に胚を移植(経腟的もしくは経腹的に注入すること)します。がん患者さんのデータではありませんが、日本産科婦人科学会の報告では、凍結胚1個あたりの妊娠率は35%程度といわれています(*1)。日本では日本産科婦人科学会の見解に従い、離婚などにより夫婦のどちらかが廃棄を希望した場合やどちらかが死亡した場合、女性が生殖可能年齢を過ぎた場合には凍結胚の保存は継続されず、破棄されることになるので注意が必要です(*2)。
思春期以降の女性でこどもを作りたいと思っているものの、夫やパートナーがいない女性の場合には、体外受精させる精子がありませんので、卵子のまま凍結保管(未受精卵子凍結)します。こどもを作りたいと思う夫やパートナーが見つかったら、凍結保存してある卵子を融解して、夫もしくはパートナーから採取した精子と体外受精させ、胚移植をします。卵子の融解、精子との体外受精、細胞分裂による胚成熟など胚が育つにはいくつかのステップがありますので、受精卵凍結と比べると不確実となります。一般女性を対象とした未受精卵子凍結の手技そのものの安全性と有効性は確立されていますが、今後はがん患者さんのデータの集積が必要です。未受精卵子についても、女性が生殖年齢を過ぎた場合には保存は継続されず、本人に通知の上で破棄されることになりますので注意が必要です。
最後がいちばん新しい妊孕性温存療法である卵巣組織凍結です。胚(受精卵)凍結や未受精卵子凍結保存には排卵誘発剤による卵巣刺激が必要で、悪性腫瘍の治療開始が遅れることが懸念されます。卵巣組織の凍結保存は腹腔鏡手術などにより比較的短期間(早ければ数日以内)で組織の採取、凍結保存ができますので、治療を急ぐ悪性腫瘍の患者さんに勧められています。また、採卵ができない思春期前の女性の場合には唯一の方法となります。しかし、卵巣組織凍結保存は臨床研究段階での技術であり、安全性や有効性は十分に評価されておらず、実施できる施設も限られているのが現状です。卵巣組織の採取は、腹腔鏡手術(開腹手術ではなく、腹部に1箇所もしくは数箇所の小さい傷でカメラを使って行う手術)で片側もしくは卵巣の一部を摘出します。摘出した卵巣はプログラムフリーザーという機械で徐々に低温にして凍結保存する(緩慢凍結法)のが一般的で、高額な機械が必要です。最近ではより簡便なガラス化凍結法が普及しつつあります(*3)。卵巣組織を採取して、手術室内で1時間以内に卵巣組織を凍結保存することができます。
摘出して凍結保存していた卵巣を利用する際には、体内に戻す移植手術を行います。移植してから卵巣が機能するようになるまで通常4〜5ヶ月かかります。もともと卵巣があったところに戻す同所性移植と腹直筋や前腕などに移植する異所性移植があります。骨盤部への放射線治療などで同所性移植が困難な場合には異所性移植が選択されます。また異所性移植は移植手術自体が簡便ですし、悪性腫瘍が再発した時に移植した卵巣を再摘出することも簡便です。これまで妊娠出産の報告は、同所性移植の患者さんでしたが、最近では異所性移植した卵巣からの採卵による体外受精で妊娠出産まで至った患者さんの報告が増えてきています。
卵巣組織凍結の一番の問題点は、卵巣組織内にがん細胞が含まれている可能性があること(minimal residual disease : MRD)です。がん細胞は全身に転移する可能性があり、卵巣は血流豊富な組織ですので、卵巣にがんが転移しているかもしれません。摘出した卵巣内に腫瘍細胞が残っていると、移植した時に癌細胞も体内に戻してしまうことになります。採取した卵巣組織内にがん細胞がないことを確認するために、病理組織検査やPCR検査などを行うことが有効と言われています。がんの種類による安全性の違いもあり、乳がんや悪性リンパ腫は比較的安全に実施できる可能性が高く、白血病についてはかなり注意が必要です。いずれにしても胚(受精卵)凍結や未受精卵子凍結と比べてがん・生殖医療としての卵巣組織凍結の有効性と安全性に関するデータは十分ではありませんので、今後のがん患者さんのデータの集積が必要です。
このように女性のがん患者さんに対する妊孕性温存の方法にはいくつかありますが、それぞれにメリットとデメリットがあります。排卵誘発や採卵、卵巣採取など全て負担のかかる診療ですので、実施するかどうかはご自身やその周りの大切な人、がん診療医とよく相談することが重要です。
*1 「令和3年度倫理委員会 登録・調査小委員会報告(令和3年分の体外受精・胚移植等の臨床実施成績および令和3年7月における登録施設名)」
*2 「医学的適応による未受精卵子,胚(受精卵)およひ卵巣組織の凍結・保存に関する見解」
*3 Suzuki N, Yoshioka N, Takae S, Sugishita Y, Tamura M, Hashimoto S, Morimoto Y, Kawamura K. Successful fertility preservation following ovarian tissue vitrification in patients with primary ovarian insufficiency. Hum Reprod. 2015 Mar;30(3):608-15.
がん医療における妊孕性温存療法の実際 男性の場合
小児もしくはAYA世代の男性がん患者さんに対する妊孕性温存療法は、精子の凍結保存であり、安全性・有効性ともに確立されています。マスターベーションにより精液を採取し保存液とともに液体窒素の中で保管します。半永久的に保管することが可能です。射精精液中に精子がない患者さん(無精子症)には、精巣内精子採取術によって精子を採取できることもあります。泌尿器科や不妊症専門施設で実施可能です。
妊娠を希望した場合には、凍結した精子を融解(常温に戻す)して、子宮内に注入する人工授精のほかに、妻やパートナーから採卵した卵子と精子を培養液中で混合させる体外受精、妻やパートナーから採卵した卵子に精子を注入する顕微授精が行われます。顕微授精が最も確実な方法であり、最近では顕微授精が優先して行われています。凍結保存精子を使用する場合には、本人の生存と妊娠の意思を確認することになっており、死亡した場合には破棄されます。女性と異なり年齢による制限はありません。
思春期以前の男児の場合には精巣凍結も試みられていますが、まだ安全性と有効性は確立されていません。今後の技術の進歩が期待される領域です。
*1 「精子の凍結保存に関する見解」
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